[2-7-1] (6.00) ***** [2-7-1] コラム・北海道学 ***** 【Ver6のご案内】 Ver5.0では[8-1]だった章です。もともと他のどこにも入らない話題を集めた 章なので、まとまりがないのですが、今回は以下の話題を収録しました。 1.ワシと鉛弾 2.キタキツネには石を投げよう 3.ヒグマは餌付けできる 4.北方領土に渡るには 5.北方領土は誰のものか 6.北方領土基本データ 7.北海道の地名の由来 1.ワシと鉛弾 冬、道東にはオジロワシ、オオワシなど、絶滅が心配されている大型のワ シがシベリア方面から渡ってきます。彼らが狩猟で死んだエゾシカの肉を食 べて鉛中毒で死亡する例が近年激増しているそうです。 かつて、ワシは海で魚を獲って生きていました。また、より簡単に魚が手 に入る漁港にたむろすることも少なくありませんでした。羅臼には特にワシ が集まり、鳥やさんも冬に羅臼に集まりました。10年ほど前には一つの木に たくさんのワシがとまっていて、「ワシの成る木」と呼ばれた木もあったと か。 ところが、タラは乱獲がたたって漁獲が激減してしまいました。他のエサ を求めてワシは羅臼を離れ、道東の内陸部へ向かいました。(羅臼は狭い地 域ですから、今でもワシの密度としては少なくありませんが。) 近年ワシが食べるようになったのがエゾシカです。エゾシカは増えすぎて 狩猟で撃ち殺されることが増えていますが、猟師さんは価値のある部分の肉 や角だけ切り取ったら放置したり、また取り逃がして後で死ぬものなど、死 体は放置されることが多く、これをワシが食べます。 ワシが食べる時、鉛の散弾銃も一緒に飲み込んでしまいます。鳥は消化を 助けるために小石を飲み込んで砂のうに貯めるため、小石と同じように鉛弾 も飲んでしまいます。すると、鉛は毒ですのでワシは鉛中毒になり、死んで しまいます。ふんが緑色になるのが典型的な鉛中毒です。 環境保護団体などは鉛弾の代わりに飲み込んでも害のない銅弾の使用を訴 えていますが、日本では手に入りにくく、価格も高いため、ほとんど普及し ていないようです。欧米ではすでに鉛弾は禁止されていたり、規制が加えら れています。 というわけで、狩猟をされる方へのお願い: 是非、銅弾を使って下さい 獲物は責任を持って処分して下さい また、狩猟しない人も死んでるシカを見つけたら (実のところ、どうするんでしょうね? 警察にでも届けるのかな。) 参考は、1998〜1999冬期の朝日新聞、NHKクローズアップ現代 でした。 2.キタキツネには石を投げよう 北海道ではいたる所でキタキツネに会えます。山、道路、スキー場、そし て町中にも出てきます。とってもかわいいです。エサを与える人もたくさん 見かけます。でもエサを与える人よりも石を投げる人の方が心優しい人だっ て知ってましたぁ? 最近は道路周辺を徘徊し、車の音を聞くと嬉々として飛び出していくキタ キツネが増えました。車から投げてくれる食べ物が目当てです。キタキツネ は、車の音=食べ物と思っているようです。当然、 ・哀れ、車にはねられる。 ・自分でエサを獲る能力が衰え、冬場に餓死しやすくなる。 ・人間のジャンクフードでおなかをこわす。(おつまみとか、スナック菓 子とか、塩分強いし、得体の知れない添加物とか、人間にもあまり良く ないんですよね。) なあんてことになっちゃうんです。ですから、優しい人は迷わず石を投げつ けて下さい。 ・車は危険だと知らせる。 ・人間に近寄らせないことで野生を守る。 というわけで、まさに一石二鳥! 「だめだって言っても彼女にせがまれてエサあげちゃった…」なあんて意 見が寄せられました。でも、ちゃんと説明すればきっと彼女もわかってくれ るはず。聞き分けのない彼女だったら、彼女に石を投げましょう。 (私は責任持ちません^^;) # キタ ニ キツネ ニ エサ ヲ ヤルヒトアレバ イッテ 「ツマラナイカラ ヤメロ」 ト イイ … さらに、キタキツネと人間の遭遇は、人間にとって恐怖だって知ってまし た?キタキツネはエキノコックスという怖い寄生虫病をもっているのです。 キタキツネをなでたりしてこの寄生虫が人間の体内に入ると、肝臓の組織が 破壊され、死んでしまいます。最近は早期発見できるようになり死亡率は低 下しましたが、動物から移る病気って、サルから感染するエボラ出血熱、ネ ズミから感染する鼠口症、犬から感染する狂犬病など、いろいろありますが、 怖〜いんですよ。エキノコックスについて詳しくは[2-2-2]を。 3.ヒグマは餌付けできる え゛っ、ほんと? と思うでしょう。できるんですよ、これが。登別のく ま牧場じゃありませんよ。知床での話です。 ---------- 1996年10月15日 北海道新聞より(要約) -------- 餌を与えているのは、少なくとも2回目撃されていて、最初は7月中旬。 知床五湖方面とカムイワッカの滝方面へ分かれる道道の分岐点近くで、 ヒグマ(1-2歳、性別不明)に、車の中から観光客らしい人が、パンを 投げ与えていた。通りかかったタクシー運転手が注意してやめさせたと いう。 2回目は9月26日。同じ場所で、前回と同じと見られるヒグマに、 釧路ナンバーのマイクロバスの中から、観光客が小魚やスナック菓子を 投げ与えていたのを観光バスのガイドが目撃した。 斜里町によるとこの熊は7月ごろからたびたびこの付近に姿を見せる ようになった。独り立ちしているが体重50kgほどの比較的小さなクマ。 ----------記事終わり---------- 人間の食べ物の味を覚えたクマはどうなるでしょう? 人や車を見たら寄 って行くようになり、食べ物をもらえなければ人を襲うようになり、結局撃 ち殺されてしまうでしょう。 知床半島の海岸に点在する鮭番屋に味をしめたクマが出没する話は最近に 始まった話ではありません。昨(96)秋、朝日新聞の第1面に次の記事が掲載 されました。 ----------1996年11月16日 朝日新聞・夕刊より(要約)---------- 7月、番屋の飼い犬がヒグマに殺され、人への危害が心配されたため、 駆除が行われた。エサは何と缶ジュース。5月には番屋4件がヒグマに荒 らされ、置いてあった缶ジュース90本が全て牙で穴を空けられ、中身を 飲まれるという事件があった。ヒグマは甘い物に目がない。しかし未開封 の缶ジュースは味も臭いもない。登山者や猟師が捨てた缶から味と形を覚 えたのだろう。 人慣れしたクマは、観光客からあんパンをもらい(96夏)、大雪山系の キャンプ指定地でテントが襲って食料を奪う(96夏)など、人への警戒心を 薄めてトラブルを起こす例が増えている。ごみを残すことは、その時自分 に危害が及ばなくても、後に来る人を危険にさらす殺人行為である。 ----------記事終わり---------- また数年前、羅臼の町中にクマが下りてきて、 民家の冷蔵庫を開けて中のものを食べたこともあります。 この他にも、1996年秋の朝日新聞の全国版に鮭獲りの人のマナーの悪さに ついて記事が掲載されました。イクラを採った後の鮭をそのまま捨てておく ので、クマが寄ってくるというものです。「クマのエサになるからクマにも 都合いいだろう」なんてとんでもないこと言う人もいます。 人と野生の距離をもう一度考えてみましょう。 4.北方領土に渡るには (雑談の域を出ないことをご了解下さい) いわゆる北方領土への正規の渡航を禁止しているのは日本の外務省*だけ* であって、ロシア側から見ればハバロフスクなりユジノサハリンスクなりか ら正規の手続きで入国し、これまた正規の手続きで「国境周辺地帯への立ち 入り許可」さえ取れば問題ない筈です。ただし、最悪の場合、帰国後に「旅 券返納命令」を食らう恐れはありますが。これは、外務省が「領土問題がち ゃんと解決してないんだから、迂闊にビザをとって渡っては困る。それはつ まり、ロシアの領土だと認めてる、という意味になる。」という立場に立っ ているからなのです。とりあえず、以前に在京のTV局(の雇った制作会社?) の人間が渡航した際に何やら問題になってましたけど、正式の裁判にはなら なかった筈です。 #「外航が可能な船舶免許を取って難破する」という手段もありますが :-) 北方領土入域への難関はユージノサハリンスクでのクリル・ビザ(四島へ の入域許可)獲得です。クリルビザ取得には、参考文献(下記)によると、 以下の3点セットが必要だそうです。 1.パスポート 2.サハリンまでの入域許可のあるビザ 3.副知事以上の州政府行政官のサイン入り要請書 個人の場合は、3.の取得に時間を要すのだそうです。ビザ取得交渉のため だけに何週間も滞在する余裕がない限り、外国人である我々としてはツアー に参加するしかないと思います。ツアーなら、ビザ取得はやってくれるそう です。昔はロシア人でも島民以外の入域は厳しかったそうですが、今はロシ ア国籍の人なら特別の許可は必要ないそうです。 千島の漁場や天然資源はほとんど手つかずですので世界が注目しています し、日本ではほとんど見られなくなってしまった野生生物などもまだまだた くさん残っているようです。ロシアにとって北方領土は外貨獲得の切り札と 言えるでしょう。 なお、「北方領土は日本固有の領土ではなく、アイヌ民族の領土であり、 日本政府が返還を要求するのはおかしい。」という考えもあることを申し添 えて次の章に話題をつなぎます。 *参考文献 北方四島ガイドブック:ピースボート北方四島取材班(1993) 5.北方領土は誰のものか もともと北海道、千島列島、樺太(サハリン)には、アイヌ、ウィルタ、 ニブヒなどの北方民族が住んでおり、互いに交易したり、アムール川流域の 大陸の北方民族や和人、ロシア人とも交易していました。国境などありませ んでした。しかし、明治になって和人とロシア人が領有をめぐって争うよう になり、今のところ、勝ったロシアが千島列島と樺太を領有しています。北 方民族は、ある者は日本人、ある者はロシア人として呑み込まれてしまいま した。 今、日本が北方領土として返還を求める根拠は、江戸時代に一人の和人が 択捉島に「大日本恵登呂府」の碑を建てたことであり、アイヌ民族の存在は 無視されています。一応和人の作った法律では正論ですが、「日本がロシア に返還を要求するのはおかしい」という議論があります。また、「今、日本 に返還されたら資源の乱獲やリゾート開発で豊かな自然はあっと言う間に破 壊されてしまう。現時点では島は返還されない方がいい。」という意見もあ ります。 私にはこんな経験があります:層雲峡の木彫店を友人と訪ねました。友人 は以前この店で居候をしていたとのこと、「久しぶり」と言って出迎えたご 主人は一目でアイヌとわかる風貌でした。いろいろしゃべっているうち、ど う転んだか北方領土の話になり、その途端、ご主人は激高して、「北方領土 は日本人のものじゃない! アイヌのものだ! 日本政府がソ連(当時)に 返せなんて言う権利はどこにもない! 筋違いも甚だしい!」と私を怒鳴り つけました。と言うより、民族の叫びだったと思います。 *参考文献(価格は1996年現在) 大塚和義「アイヌ 海浜と水辺の民」1995年、新宿書房 ISBN4-88008-212-0 C0039 2800円 現国立民族博物館教授。専門の北方民族の調査を通して、多彩なアイヌ 民族文化を紹介。随所にきっぱりした政治姿勢も。 アイヌ・モシリの自治区を取り戻す会編 「アイヌ・モシリ−アイヌ民族から見た「北方領土返還」交渉」 1992年、御茶の水書房、ISBN4-275-01486-3 C0036 2678円 アイヌと和人を交えた座談会や講演会などの集成。とても厳しい内容。 6.北方領土基本データ 現状の北方領土は、国土地理院発行の日本地図とは、あまりにも異なるそ うです。等高線等、地形に関する情報は、1990年代に修正されたようですが。 地名については、現在の人が住んでいる地名のみを並べてみます。 --------------------- 島名 地名 人口 日本統治時代の地名 国後島 ユジノクリリスク 6300人 古釜布(ふるかまっぷ) ゴロブニノ 350人 泊(とまり) 択捉島 ブレベズニック 6500人 天寧(てんねい) クリリスク 2700人 紗那(しゃな) レイトボ 1700人 別飛(べっとび) 色丹島 マロクリリスク 3600人 色丹(しこたん) クラバザボーツク 3100人 穴澗(あなま) 【参考文献】北方四島ガイドブック(前出) --------------------- 皆さんご存知の通り、北海道東方沖地震の影響で、国後島/色丹島などはイ ンフラ設備などに壊滅的な打撃を受けました。よって、人口などは上記から は大きく変動している可能性があります。 7.北海道の地名の由来 北海道には、アイヌ語が由来の様々の地名にお目にかかりますが、道外の 地名も多く見られます。これは北海道の開拓のために移住した人の出身地に 由来するものです。ごくごく一部ですが、北海道の地名を紹介しましょう。 (1)アイヌ語をそのままあてたもの 凡例:現在の地名(アイヌ語発音)=日本語意味 1) 〜ナイ、〜ベツ(ペッ) = 川 幌内(ポロナイ) = 大きい川 本別(ポンベツ) = 小さい川 振内(フレナイ) = 赤い川 ナイは氾濫のおそれのない川、ベツは氾濫の恐れのある川で区別して いたそうです。ですから石狩川を始めとする上流はナイの付く地名が 多く、下流域はベツの地名が多いのだそうです。 2) シリ = 地、山、島 利尻(リシリ) = 高い島or山 礼文(レプンシリ)= 沖の島 知床(シリエトク)= 地のとがった所 3) 〜ウシ = 〜の多い所、〜する所 キトウシ = ギョウジャニンニクの多い所 美馬牛(ピパウシ)= 魚貝の多い所 妹背牛(モセウシ)= いつも草を刈る所 (2)アイヌ語から日本語へ意訳されたもの 凡例:アイヌ語発音=日本語意味→現在の地名(日本語読み) オタノシケ = 砂浜の中央 → 浜中(はまなか) クッタルシ = イタドリ(虎杖)の多い所 → 虎杖浜(こじょうはま) ソーペツ = 滝のある川 → 滝川(たきかわ) オタノシケやソーペツはそのまま残っているところ(大楽毛、壮瞥) もありますね。 (3)入植者の出身地にちなんだもの 新十津川 … 奈良県十津川村 北広島 … 広島県 池田 … 徳島県池田市 幸福 … 「福」は福井県ですが、「幸」はもともとのアイヌ語地 名 サツナイ = 枯れた川 に「幸震」(さつなゐ) という漢字をあてたところに由来します。「地震」は古 語では「なゐ」なのです。うーん日本語って難しい。 伊達紋別 … 仙台伊達藩(親戚筋の亘理(わたり)伊達家が中心) 札幌市白石区…宮城県白石市 姉妹都市提携しており、役所や郵便局、小学校などで交 流しているそうです。 お菓子に「白松がモナカ、白松がヨーカン」というのが あって、本拠地が札幌と仙台なのですが、きっとこんな ところからきてるのかな。 サツナイも幸福周辺にそのまま残っていますね。(中札内村、札内川など) (4)こんなのも 長和(ながわ) 長流(おさる)川の河口にある町名です。長流はアイヌ語の(オサル) にそのまま漢字をあてたもので、以前は町名も国鉄の駅名も長流でし た。しかし、その発音が「お猿」に通じるのが嫌われて20年ほど前 に改名されてしまいました。 札幌市手稲区前田 入植班の班長さんが前田さんでした。 札幌市西区八軒 8軒の家がある集落でした。 札幌市西区二十四軒 説明しなくてもいいっすよね:-) 札幌市中央区宮の森2条と3条の間 昔は十二軒通りと呼ばれてました。ここも説明しなくていいですね:-) (5)全道地名由来(あいうえお順) (6)の十勝編とあわせて充実させたいと思いますので、情報お寄せ下さい。 マイナーな地名は捜すのも一興かと思いますので、場所は載せませんでした。 赤平 ← アカ(山稜・尾根)+ピラ(崩れて地肌の現れている崖) 旭川 ← チュプ・ペツ(日の川)の意訳 芦別 ← アシュ・ペツ(切り立つ河) 網走 ← アパシリ(入口の地) 又は、チパシリ(幣場のある島) 幾寅 ← ユクトラ(鹿が越える)。この近所には鹿越という地名もある。 石狩 ← 石狩川←イシカラペツ(曲がりくねって流れる川) 岩見沢 ← 湯浴み沢(開拓使がこの地で温浴して疲労を癒したため) 歌志内 ← オタ・ウシ・ナイ(砂の多い川) 恵庭 ← 恵庭岳←エエン・イワ(鋭く尖った岩) 江別 ← イブツ(大事な所への入口) 又は、ユベオツ(鮫の居る川) 小樽 ← オタ・オル・ナイ(砂地を流れる川) 帯広 ← オベリベリ←オペレペレケツ(川尻がいくつもに裂けている) が転化 北見 ← 松浦武四郎の「国名之義に付申上候書付」でオホーツク海域を 「北見の国」と命名したことに由来 釧路 ← クシュール(川づたいに山を越えていく路) 又は、近在の温泉に因んだ「クスリ(和名)」から 札幌 ← サトポロ(乾燥した広大な所) 又は、サリポロ(大きな湿地のある所) ポロの後にベツ(川)がついていた、という語源もあるようです。 ポロベツ(大きい川)とは豊平川を指すわけですが、扇状地にな っていて始終氾濫したようなので、ナイではなくベツが使われ たようです。でも、2説の語源が「乾燥」と「湿地」で正反対なの が不思議ですね。 士別 ← シペツ(大きい川) 砂川 ← オタ・ウシ・ナイ(砂の多い川)の意訳 滝川 ← ソーラップッチ(滝の掛かる川)の意訳 千歳 ← 元は、シコツ(大きな窪地)。支笏湖ともども「死骨」という字 をあてていたが、開拓?周年を機におめでたい地名に改名。 丁寧 ← (沼地) 天寧 ← (沼地) 苫小牧 ← ト・マコナイ(沼のあるマコナイ川) …マコナイは山の奥の川の意 名寄 ← ナイ・オロ・プト(川・の処の・口) 根室 ← 根諸←ニムオロ(樹木の繁茂する所) 登別 ← ヌペル・ペツ(白く濁った川) 函館 ← 箱館←1454年に河野政道がウスケシ(当時の函館の呼び名)に 築いた館が箱の形に似ていたことから 美唄 ← ピパ・オ・イ(カラス貝の多い所) 深川 ← オオ・ホ・ナイ(深い川)の意訳 富良野 ← フラヌイ(臭き火焔) 三笠 ← この地区にあった囚人収容施設の裏山が奈良の三笠山に似てい ることから 室蘭 ← モ・ルエラン(緩やかな坂を下る) 紋別 ← モウペット(静かな川) 止若 ← ヤムワッカナイ(冷たい水の出る沢)。幕別町の一部の旧名。 昭和29(1954)年はJR幕別駅も止若駅だった。 夕張 ← ユーパロ(鉱泉の湧き出づる所) 留萌 ← ルルモッペ(潮の静かに入る所)が変化 稚内 ← ヤムワッカナイ(冷たい水の出る沢) (6)十勝20市町村名の由来 アイヌ語の音型 ============== 帯広市 アイヌ語:オペレペ・ケプ 川尻がいくつも裂けている所 足寄町 アイヌ語:アショロペツ 沿って下る川 浦幌町 アイヌ語:オーラポロ 川尻に大きな葉がある所 音更町 アイヌ語:オトプケ 女性の長い黒髪が風に吹き乱れる 士幌町 アイヌ語:シューウウォロー 鍋の川に捨てる 更別村 アイヌ語:サラペツ 葭原の川 新得町 アイヌ語:シットク 川の曲がり角などを差す言葉 大樹町 アイヌ語:タイキウシ 森林が沢山ある所 豊頃町 アイヌ語:トエコロ 大きな蕗が生えている所 広尾町 アイヌ語:ピルイ 転がる砥石 本別町 アイヌ語:ポン・ベツ 子である川 幕別町 アイヌ語:マクウンペツ 山際を流れる川 芽室町 アイヌ語:メム・オロベツ 源泉地の中から来る川 陸別町 アイヌ語:リクンベツ 高くあがっていく川 アイヌ語の和訳型 ================ 鹿追町 アイヌ語:クテクウシ 「鹿を追う」の和訳 清水町 アイヌ語:ペケレベツ 「明るく清らかな川」の和訳 アイヌ語+場所型 ================ 中札内村 アイヌ語:サツナイ 「乾いた川」の音+その中流に位置する 上士幌町 士幌から分村する時に川の上流にあったため その他型 ======== 池田町 元は凋寒(しぼさむ)村。池田農場に鉄道が通ったのを機に 池田町に改称 *参考文献 山田秀三「アイヌ語地名の輪郭」1995年、草風館 ISBN4-88323-080-5 6180円 同じ著者の著書にはもう少し安価な本もあります。 細田恒美「北海道ふるさとの駅」1994年、北海道新聞社 ISBN 4-89363-726-6 2816円 北海道のJRの駅を、国鉄時代やいまはない駅も含めて描い たスケッチ集。駅名由来も載っています。 東洋経済別冊92都市データパック1998版